問題用紙付き!ナポレオンの第一帝政確認問題・初級編【世界史】

ナポレオンの第一帝政確認問題・初級編 問題

解答&解説

Ⅰ.

ブリュメール18日のクーデターで統領になったナポレオンは第2回対仏大同盟に対抗するため、オランダ・イギリスと戦い、勝利したことで第2回対仏大同盟を崩壊させることに成功します。

その後は内政問題にも着手し、特に私有財産の不可侵や法の下の平等について規定した(①ナポレオン法典(フランス民法典))を1803年に発布したことが大きな成果として挙げられます。

こうして様々な問題に尽力したナポレオンは、1804年5月に国民投票を実施して(②皇帝)に即位します。

これによってフランスの第一共和制は終わり、ナポレオンの(③第一帝政)が始まったというわけです。

(③)下のナポレオンは対外戦争を繰り返して多くの勝利を重ねてきましたが、1812年に(④ロシア(モスクワ)遠征)を冬将軍によって失敗したことにより徐々に追い詰められていくことになります。

そして1813年には(⑤ライプツィヒの戦い(諸国民戦争))に大敗したことで、皇帝を退位しエルバ島へと流されることになってしまったのです。

Ⅱ.
ⓐの文章はそのまま正しいです。
しかし、ⓑの文章のナポレオンはイギリスのネルソン提督とトラファルガーの海戦で戦ったというのは正しいですが、大勝したのではなく、実際は大敗したことでイギリス上陸を断念することになりました。
そのため、ⓑの文章は間違いです。

Ⅲ.

アウステルリッツの戦い(三帝会戦)
この戦いはフランスのナポレオン1世、オーストリアのフランツ1世、ロシアのアレクサンドル1世の3皇帝が一堂に会して戦ったことから三帝会戦と言われています。

ライン同盟

大陸封鎖令
大陸封鎖令は植民地を多く持っていたイギリスにはさほどダメージがない一方で、世界の工場であるイギリスと交易をしたいフランス国民や同盟国の多くの反発を招いてしまいます。
そして、大陸封鎖令を破って貿易をしていたロシアを倒すためにロシア遠征を始めたことが第一帝政の終わりの始まりとなってしまいます。

ワーテルローの戦い
ナポレオンが皇帝に復帰してからこのワーテルローの戦いに大敗して失脚するまでがほぼ100日だったため、この期間を百日天下と言うこともあります。

まとめ

今回はナポレオンについて最低限押さえておきたい用語を中心に出題しました。

正直初級編ではありましたが、あまり良い点数が取れなかったという人も多いかもしれません。

ナポレオンについては覚える事項も多く内容も難しいと感じる人もたくさんいるかもしれませんが、何回も復習をしてちょっとずつ覚えていけば大丈夫ですので、慌てず学習していきましょう!

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