今回からは、情報解説だけでなく、問題・講座形式の記事も書いていきたいと思います。
記念すべき第1回目の内容は、日本史の間違いやすい頻出事項をチェックしてみよう!【古代編】です。
出題範囲は、旧石器時代から古墳時代なので、飛鳥時代まで勉強が進んでる人は、腕試しのつもりで是非解いてみてください。
問題数は全4問です。問題は難しいかもしれませんが、全問正解目指して頑張ってください!
この講座の難易度は★★★★☆です。
※難易度は最高で★★★★★です。
※★がかなり簡単、★★★が普通、★★★★★がかなり難しいと思ってください。
問題
問題は全て正誤問題です。
それぞれの問の文章の正誤の組み合わせとして正しいものを、選んでください。
問1
①百済の僧、曇徴は彩色・紙・墨の技法を伝えた
②高句麗の僧、観勒は暦法を伝えた
ア:①正 ②正 イ:①正 ②誤
ウ:①誤 ②正 エ:①誤 ②誤
問2
①熊本県江田船山古墳からワカタケルの大王と書かれたと思われる鉄剣が出土した
②埼玉県稲荷山古墳からワカタケルの大王と書かれた鉄剣が出土した
ア:①正 ②正 イ:①正 ②誤
ウ:①誤 ②正 エ:①誤 ②誤
問3
①古墳時代末期には有力農民層のものと思われる群集墳が大量に出現した
②古墳時代後期には大王の古墳は八角墳の形へと移行していった
ア:①正 ②正 イ:①正 ②誤
ウ:①誤 ②正 エ:①誤 ②誤
問4
①応神朝の時に渡来した王仁は後に西文氏の祖となり、『論語』・『千字文』を伝えた
②倭王武の時に渡来した弓月君は後に秦氏の祖となり、養蚕・機織りの技術を伝えた
③応神朝の時に渡来した阿知使主は後に西文氏の祖となり、史部を司った
ア:①正 ②正 ③正 イ:①正 ②正 ③誤
ウ:①正 ②誤 ③正 エ:①正 ②誤 ③誤
オ:①誤 ②正 ③正 カ:①誤 ②正 ③誤
キ:①誤 ②誤 ③正 ク:①誤 ②誤 ③誤
解答&解説
まずは、問題の答えだけを一覧で紹介して、その後解説に移りたいと思います。
問1…エ
問2…ウ
問3…ア
問4…エ
問1…エ
ここは正誤判定問題でも出題頻度が多い要チェック分野の一つです!
まずは、以下の用語と関係をしっかり覚えましょう!
①百済の僧、観 勒は暦法を伝えた
②高句麗の僧、曇 徴は彩色・紙・墨の技法を伝えた
その上で、この2つを混乱しないようにするためには、片方を確実に思い出せるようにしましょう。
両方をちゃんと思い出そうとして混乱するなら、片方だけ思い出せれば混乱は起こりません!
そこで、①の方を百済はカレーと覚えましょう。
百済はカ(観勒)レ(暦法)ーと語頭を取っただけですが、これさえ覚えていれば混乱は起きなくなります!
今回の問題では、それぞれの僧と伝えたものの内容は合っていますが、出身国の部分が入れ替わっているため、正解は両方間違いのエです。
①百済の僧、曇徴は彩色・紙・墨の技法を伝えた
②高句麗の僧、観勒は暦法を伝えた
「百済はカレー」になっていませんね。
問2…ウ
古墳時代にワカタケルの大王について出題される場合、ほとんどはこの部分からになります。
ポイントはそれぞれの古墳の所在する県と古墳の名前、そして出土したものは鉄剣か鉄刀のどちらかということです。
前者の方は、小学校の歴史の授業から埼玉県の稲荷山古墳などは強調して教えられてきた人も多いので分かる人が多いかもしれないですが、間違いやすいのは後者の方です。
稲荷山古墳から出土したのは鉄剣であり、江田船山古墳から出土したのは鉄刀であるということまでチェックできている人は少ないと思います。
埼玉県の稲荷山古墳→鉄剣
熊本県の江田船山古墳→鉄刀
細かい違いですが、日本史の試験で8割や9割以上を安定して取るためには、こういった細かいところの違いもしっかりと押さえておきましょう!
今回の問題では、まさにこの違いについて出題されています。
間違っているのは、①の方なので、正解はウになります。
①熊本県江田船山古墳からワカタケルの大王と書かれたと思われる鉄剣が出土した
②埼玉県稲荷山古墳からワカタケルの大王と書かれた鉄剣が出土した
江田船山古墳から出土したのは鉄剣ではなく、鉄刀でしたね。
問3…ア
前方後円墳などの有名な古墳の話はもちろん大事ですが、古墳時代後期の群集墳と八角墳についてもしっかりと押さえておきましょう!
今回は問の文章のままで合っているので、正解はアになります。
もし間違えてしまった人はもう一度しっかりと確認し直してみましょう!
問4…エ
ここも正誤判定などで出題頻度が高い、受験生泣かせの部分です。
問1と同じように、まずは基本事項を確認して、それぞれの用語と関係を覚えましょう!
①~③の全員が応神朝の時に渡来した有力な渡来系の豪族・氏族
①王仁(西 文 氏の祖)…『論語』・『千字文』を伝えた
②阿知使主(東 漢 氏の祖)…後に史部を司った
③弓月君(秦 氏の祖)…養蚕・機織りの技術を伝えた
そもそもこの人達を初めて知ったという人も多いかもしれないので、他の問題より丁寧に解説します!
まず、この3人に共通しているのは全員が応神天皇の時代に来た渡来人だということです!
この知識があればこの時点で、問の②の文章は間違いだということが分かりますね。
②倭王武の時に渡来した弓月君は後に秦氏の祖となり、養蚕・機織りの技術を伝えた
次に注目するのは、それぞれの人達が何の祖であり、何をしたのかということです。
これについては一発で覚えられる良い覚え方が思い付かないので、少し遠回しの覚え方になってしまいます(何か良い覚え方ある人がいたら教えてほしいです)。
まず、①と②を、和歌と綾と覚えましょう。
和(王仁)歌(西文氏)とあ(阿知使主)や(東漢氏)という意味です。
これを覚えれば、誰が何の祖なのかという前半部分は混乱が起こらなくなります。
そして、誰が何をしたのかという後半部分については、①と③を覚えましょう。
これを覚えるためには、キーワードを決めて、前半部分と関連付けるのが一番手っ取り早いです。
①の方のキーワードは「文」です。
西文氏と千字文で両方とも「文」が入っていると印象付けておきましょう。
③の方のキーワードは「はた」です。
秦氏と機織りで両方とも「はた」が入っていると印象付けておきましょう。
ちなみに、なぜこんな共通点があるのかというと、この時代にやってきた渡来人達は品部と呼ばれる技術者集団に組織されていったのですが、その担当している役割が名前の由来になっているからです。
これを覚えれば、後半部分の混乱も起こらなくなります。
最後に、このキーワード達を使って、今回の問の文章を見てみましょう。
①応神朝の時に渡来した王仁は後に西文氏の祖となり、『論語』・『千字文』を伝えた
③応神朝の時に渡来した阿知使主は後に西文氏の祖となり、史部を司った
最初のキーワードは和歌と綾なので、①は和歌で合っていますが、③は綾ではないので誤りです。
ここまでで②と③が誤りだと分かったので、確認するのはあと①だけです。
西文氏の祖である王仁が何をしたのかのキーワードは文ですので、今回は合っています。
そのため、正解は①が正で②と③が誤のエになります。
しかし正直な話、覚えられる人はこんな方法ではなく、そのまま覚えられるならその方が良いですし、他の良い覚え方がある人は是非そちらで覚えてください。
今回紹介したのもあくまで記憶法のほんの一例ですので参考程度にしてください。
まとめ
今回はかなり日本史の勉強を進めた人向けの問題を出しましたがどうでしたか?
もし知らなかったり、間違えてしまったという人もここで覚えられればそれでOKです!
練習問題や過去問でいくら間違えても、本番で正解できるようになれば良いわけですからね。
できるようになるまで頑張って復習をしていきましょう!
また、今回のチェック問題の②もあるので、興味のある方は是非挑戦してみてください!