今回は総集編ということで、8月に出してきた信長・秀吉・家康をまとめて整理していきたいと思います!
ちなみに、三英傑それぞれの個別記事は以下から見ることができるので、先に個別記事に目を通してから復習用としてこちらの記事を読むことをオススメします!
織田信長についての記事はこちらです。
豊臣秀吉についての記事はこちらです。
徳川家康についての記事はこちらです。
日本を天下統一へと導いた三英傑は試験や受験でも非常に出題率が高いところなので、この機会にしっかりとおさらいをしておきましょうね。
この講座の難易度は★★★☆☆です。
三英傑
日本を天下統一へと導いた主要人物である織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人は合わせて三英傑と言われることもあります。
この三人の性格や歴史の流れを理解するのに役立つ歌があるので、まずはそれを見ていきましょう!
ホトトギスの歌
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス (織田信長) 鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス (豊臣秀吉) 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス (徳川家康)
皆さんの中でも聞き覚えのある人も多いホトトギスの歌です。
この歌は江戸時代後期に書かれた『甲子夜話』という随筆に載せられていたものであり、直接本人が詠んだ歌ではありません。
しかし、贈られたホトトギスが鳴かない時の対応を想定して詠まれたこの歌は、彼らの性格をよく表現していて分かりやすいので紹介しておきます。
天下餅の歌
織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食ふは徳川
天下人の座を受け継いだ信長・秀吉・家康の流れを詠んだ江戸時代の狂歌です。
ちなみに、羽柴とは秀吉が豊臣姓を後陽成天皇から賜る前の姓でしたね。
狂歌とは、五・七・五・七・七の音で社会風刺や皮肉を詠んだ歌であり、天下餅の歌は公共の場所に立札を置いて匿名で歌を詠む落首の一種です。
そのため、天下餅の歌の作者は分かりませんが、こちらの歌も信長・秀吉が天下統一をして、その権力を受け継いだ家康という歴史の流れが非常に分かりやすく詠まれているので紹介しました。
織田信長
それでは三英傑最初の一人、第六天魔王織田信長を年表でおさらいしていきましょう。
1534年 | 尾張で織田信長が生まれる |
1549年 | 信長が斎藤道三の娘である濃姫と結婚する |
1552年 | 父の信秀が死去 →信長が家督を継ぐ |
1556年 | 長良川の戦い →道三が戦死して斎藤氏との関係が悪化 |
1560年 | 桶狭間の戦い →今川義元を破る |
1562年 | 清州同盟 →信長と松平元康(後の徳川家康)の同盟 |
1567年 | 美濃攻略 |
1568年 | 足利義昭を奉じて上洛 |
1570年 | 金ヶ崎の戦い →浅井長政の裏切りで撤退 |
姉川の戦い →家康との連合軍で浅井・朝倉の連合軍を破る | |
石山戦争が始まる(~80年) | |
伊勢長島の一向一揆が始まる(~74年) | |
1571年 | 比叡山延暦寺焼打ち |
1573年 | 室町幕府滅亡(義昭を京都から追放) |
小谷城の戦い →浅井氏が滅びる | |
一乗谷城の戦い →朝倉氏が滅びる | |
1574年 | 越前の一向一揆が始まる(~75年) |
1575年 | 長篠の戦い(長篠合戦) →家康との連合軍で武田勝頼を破る |
1576年 | 安土城の築城開始(~79年) |
1577年 | 紀伊雑賀の一向一揆と戦う |
1580年 | 加賀の一向一揆を平定する(1488年~1580年) |
1582年 | 天目山の戦い →武田勝頼敗死・武田氏滅亡 |
本能寺の変 →明智光秀の裏切りによって本能寺で襲われ自害 |
それではこの年表から特に重要な赤字の出来事を以下にピックアップしていきます。
桶狭間の戦い(1560年)
→今川義元を破る
石山戦争(1570年~1580年)
比叡山延暦寺焼打ち(1571年)
室町幕府滅亡(1573年)
→足利義昭を京都から追放
長篠の戦い(1575年)
→徳川家康との連合軍で武田勝頼を破る
安土城築城(1576年~1579年)
本能寺の変(1582年)
→明智光秀に裏切られて自害
これらの出来事が頭に入ってるだけで信長に関する問題の多くは答えられるようになるでしょう。
しかし、歴史は因果関係を理解することで楽しく効率的に学習を進めることが出来る科目なので、これらを丸暗記しようとするのではなく、因果関係と流れを理解するつもりで勉強していってください!
それでは、次に信長の政策を表で確認していきましょう!
経済政策 | 楽市令(楽市楽座令)を出して 商工業者の自由な取引を奨励 |
土地政策 | 領地台帳を家臣や村落に申告させる 指出検地を実施 |
建築 | 琵琶湖付近に安土城を築城 (1576年~1579年) |
信長の政策は覚える事が少ないですが、どれも重要事項なのでしっかりと押さえておきましょう!
豊臣秀吉
次は豊臣秀吉についてを年表でまとめていきましょう!
1537年 | 尾張で豊臣秀吉が生まれる |
1582年 | 本能寺の変 →信長の訃報を聞き中国大返し敢行 |
山崎の戦い →明智光秀を破る | |
清州会議 →信長の家臣の中でも大きな地位を確立 | |
太閤検地(~1598年) | |
1583年 | 賤ヶ岳の戦い →柴田勝家を破る →信長の後継者としての地位を確立 |
大坂城の築城開始(~1598年) | |
1584年 | 小牧・長久手の戦い →織田信雄や徳川家康と対決・和睦 |
1585年 | 紀伊・四国平定 →関白になる |
1586年 | 太政大臣となり、豊臣姓を後陽成天皇から賜る |
聚楽第の建設開始(~1587年) | |
1587年 | 九州平定 |
バテレン追放令 | |
1588年 | 刀狩令 |
海賊取締令 | |
1590年 | 小田原攻め →北条氏を攻略する |
奥州平定 →伊達正宗を服従させ、全国統一達成 | |
1591年 | 人掃令(1592年にも) →刀狩令と合わせて兵農分離を推進 |
1592年 | 朝鮮出兵開始 →文禄の役(~1593年) →慶長の役(1597年~1598年) |
1598年 | 秀吉が病死する(享年62歳) →秀頼を後見とし五大老と五奉行が補佐 |
それでは、赤字のところをピックアップしていきましょう!
山崎の戦い(1582年)
→明智光秀を破る
太閤検地(1582年~1598年)
大坂城築城(1583年~1598年)
関白就任(1585年)
聚楽第建設(1586年~1587年)
バテレン追放令(1587年)
刀狩令(1588年)
海賊取締令
人掃令(1591年・1592年)
→刀狩令と合わせて兵農分離を推進
朝鮮出兵
→文禄の役(1592年~1593年)
→慶長の役(1597年~1598年)
秀吉については信長と違い、以下でも紹介するような政策についても覚える事項が多いので注意してください!
内政 | 関白・太政大臣等朝廷の伝統的な権威が背景 五大老と五奉行を中心とした政治 五大老…徳川・前田・毛利・宇喜多・上杉 五奉行…浅野・石田・増田・長束・前田 |
外政 | 海賊取締令(1588年) →海賊行為を取り締まり、貿易を奨励 朝鮮出兵(1592年~93年・97年~98年) |
土地政策 | 太閤検地(1582年~1598年) →検地帳と国絵図の提出を命じる →結果は石高で統一 →面積の単位や枡の容量を京枡に統一 一地一作人の原則 →一つの耕地に一人の耕作人 →耕作権を保障する代わりに年貢負担を義務付け |
身分政策 | 刀狩令*¹(1588年) 人掃令(1591年・1592年) →兵農分離の推進 |
宗教政策 | バテレン追放令(1587年) |
建築 | 大坂城の築城(1583年~1598年) →石山本願寺の跡地に築城 聚楽第の建設(1586年~1587年) →秀吉の邸宅 |
徳川家康
それでは三英傑最後の一人、徳川家康を年表でおさらいしていきましょう!
1542年 | 三河で徳川家康が生まれる |
1547年 | 織田信秀の人質になる |
1549年 | 今川義元の人質になる |
1560年 | 桶狭間の戦い →今川氏の支配から解放される |
1562年 | 清州同盟 →織田信長と同盟を結ぶ |
1572年 | 三方ヶ原の戦い →武田信玄に敗れる |
1575年 | 長篠の戦い →信長との連合軍で武田勝頼を破る |
1582年 | 本能寺の変 |
1584年 | 小牧・長久手の戦い →秀吉と和睦 |
1590年 | 秀吉の全国統一に合わせて江戸城へと移封 |
1598年 | 秀吉死去→五大老筆頭になる |
1600年 | 関ヶ原の戦いで石田三成を破る |
1603年 | 征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く |
1605年 | 将軍職を秀忠に譲り大御所政治を展開 |
1607年 | 駿府城に移る |
1614年 | 方広寺鐘銘事件→大坂冬の陣 |
1615年 | 大坂夏の陣 →豊臣氏が滅亡する |
武家諸法度(元和令)を制定 | |
禁中並公家諸法度を制定 | |
一国一城令を制定 | |
1616年 | 家康が病死する(享年75歳) |
次は上記年表の赤字の部分だけを改めてピックアップしていきます。
桶狭間の戦い(1560年)
→織田信長が今川義元を破り、今川氏の支配から解放される
三方ヶ原の戦い(1572年)
→武田信玄に敗れる
長篠の戦い(1575年)
→信長との連合軍で武田勝頼を破る
小牧・長久手の戦い(1584年)
→豊臣秀吉と和睦
関ヶ原の戦い(1600年)
→石田三成を破る
征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く(1603年)
大坂の役
→大坂冬の陣(1614年)
→大坂夏の陣(1615年)
→豊臣氏が滅亡
武家諸法度(元和令)を制定(1615年)
禁中並公家諸法度を制定(1615年)
政策については1615年の武家諸法度(元和令)・禁中並公家諸法度・一国一城令の3つだけしか記事で紹介していないので、家康については年表のみの紹介にさせていただきます。
一つだけ注意しておきたいのは、武家諸法度(元和令)と禁中並公家諸法度がそれぞれ誰を対象にした法律かということです。
武家諸法度→大名の統制が目的
禁中並公家諸法度→朝廷・公家の統制が目的
まとめ
今回は三英傑を年表や表で一気にまとめていきましたが、いかがでしたか?
いきなり全部を覚えなくても全然大丈夫ですが、出来事の流れだけはしっかりと把握するようにしてくださいね!
それではまた別の記事でお会いしましょう!