問題用紙付き!ルターの宗教改革確認問題・初級編【世界史】

ルターの宗教改革確認問題・初級編 問題

解答&解説

Ⅰ.

ローマ教皇レオ10世によって「サン=ピエトロ大聖堂の建築費用を集めるため」という名目で始まった(①贖宥状)の販売に対して強い批判をしたのが、ドイツのヴィッテンベルク大学の神学教授であったマルティン=(②ルター)でした。

(②)は1517年10月31日にヴィッテンベルク城内の教会の門扉に(③九十五カ条の論題)を発表し、これが宗教改革の始まりとなったと言われています。

1519年に行われたライプツィヒ郎論において(②)は「人は善行ではなく、信仰によってのみ義とされる」(④信仰義認)説と聖書の教えのみに従う(⑤聖書中心)主義の立場を取りましたが、教皇の権威を否定したことが理由となって、(②)は破門されてしまいました。

Ⅱ.

1522年には騎士戦争が始まりますが、すぐに鎮圧されてしまいました。

ルターの宗教改革を支持していた神学者トマス=ミュンツァーを指導者とした農民達は、1524年に農奴制や領主制の廃止を訴える「12ヶ条の要求」を掲げて反乱を起こし、(⑥ドイツ農民)戦争が始まりました。

そして1545年に(⑦トリエント公)会議で旧教側が結束した事を契機として、翌年の1546年には旧教と新教の間で(⑧シュマルカルデン)戦争が始まってしまいました。

Ⅲ.
アウクスブルクの宗教和議の内容については以下の通りでしたね。

アウクスブルクの宗教和議

これを踏まえた上で問題を見てみるとⓐの文章は「個人の信仰の自由が認められた」と書いてありますが、アウクスブルクの宗教和議ではカルヴァン派や個人の信仰の自由は認められていないので誤りだと分かります。
そしてⓑの文章は「諸侯にカルヴァン派とルター派を選択する自由が与えられた」と書いてありますが、カルヴァン派ではなくカトリックとルター派を選択する自由が与えられたが正しいのでこちらも誤りだと分かります。
そのため正解は両方誤りのエとなります。

まとめ

今回はルターの宗教改革で最低限押さえておきたい用語を中心に出題しました。

贖宥状などの漢字が難しいかもしれませんが、最低でも読めるようにはしておくと良いと思います。

そして最悪ひらがなで「しょくゆう状」と書いても正解扱い若しくは部分点が貰えるかもしれませんので、用語だけは覚えておきましょう。

それではお疲れ様でした!

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