問題用紙付き!ウィーン体制確認問題・初級編【世界史】

ウィーン体制確認問題・初級編 問題

解答&解説

Ⅰ.

1814年から15年にかけてナポレオン戦争で混乱した国際秩序を再建するために、オーストリアの外相メッテルニヒ主導でオーストリアの首都(①ウィーン)で(①)会議が行われたことで、自由主義・国民主義運動を否定した保守的な国際政治体制である(①)体制が成立しました。

この(①)体制の維持や強化を目的として、ロシア皇帝のアレクサンドル1世の提唱で(②神聖)同盟が結ばれたり、メッテルニヒの主導によって四国同盟・五国同盟なども結ばれることになります。

しかし、(①)体制下では、ドイツの学生による(③ブルシェンシャフト)の運動や(④スペイン)立憲革命などをはじめとした抵抗とそれに対する鎮圧も行われるなどの混乱も起こりました。

特にラテンアメリカ諸国や(⑤ギリシア)の独立・フランスで起こったシャルル10世に対する(⑥七月)革命などは(①)体制に大きな動揺を与えることになります。

そして1848年から(⑦フランス)二月革命や(⑧ウィーン)三月革命・ベルリン三月革命などの「諸国民の春」と呼ばれる革命の頻発によって(①)体制は崩壊したのです。

Ⅱ.
ウィーン会議では「会議は踊る、されど進まず」と風刺されるように連日宴会や舞踏会が行われていたため中々会議は進まず、ウィーン議定書の調印はナポレオンが皇帝に復帰してから慌てて行われたため、ⓐの文章は誤りです。
また、ⓑの文章ではロシアの貴族将校がデカブリストの乱を起こしたというところは正しいですが、カルボナリ(炭焼党)はイタリアを中心に拡大して、自由主義と国民主義運動を推進した秘密結社のことですので、こちらの文章も誤りです。

まとめ

今回はウィーン体制で最低限押さえておきたい用語を中心に出題しました。

前回のナポレオン同様初級編とは言いましたが、内容が難しいので思うような点数が取れなかったという人も多いと思いますが、何度も復習して少しずつ覚えていきましょう!

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