皆さんどうも、Homuraです。
最近時間がなくてちゃんとした解説記事が出せず問題系の記事ばかりでしたが、久しぶりの解説記事です。
今回は江戸幕府の支配体制についてを重要事項・頻出事項を押さえながら見ていきたいと思います。
覚えなければいけない用語も多いため、一つ一つのポイントをなるべく丁寧に確認していくので一緒に頑張りましょう!
ちなみに、可能ならば先にこちらの家康について書かれた記事の内容について押さえておくことをオススメします!
この講座の難易度は★★★☆☆です。
江戸幕府の統治体制
江戸幕府の支配体制は幕府を最高統治機関としながら、各地の藩がある程度自治するという幕藩体制でした。
現代で言えば、内閣や国会が日本のトップですが、各都道府県に県知事がいて地方自治がされているのと同じようなものです。
そして、江戸幕府の統治下では各藩のトップである大名は以下のように分類されていました。
親藩→徳川家の一族
譜代→関ヶ原の戦い以前の家臣
外様→関ヶ原の戦い以降の家臣
江戸を中心として、直轄領や重要地には親藩や譜代の大名を、遠くの方には有力な外様大名が多く配置されていました。
信頼できる人物を江戸の近くや重要地に、あまり信用できない人物を遠くに配置するという理にかなった配置だったというわけですね。
次に江戸幕府の財政基盤についておさらいしておきましょう。
私達は日々国に税金を納めており、それが国の財源となっています。
江戸幕府でもその仕組みは同様であり、幕府の主な収入源は百姓達が納める年貢や株仲間が納める運上・冥加(営業税)などでした。
また、江戸幕府はいくつもの法律を制定して各身分の人々を統制しようとしましたが、各法律とその対象は以下の通りです。
天皇(禁中)・公家→禁中並公家諸法度(1615年)
大名・旗本・御家人→武家諸法度(1615年)
寺院→諸宗寺院法度(1665年)
神社→諸社禰宜神主法度(1665年)
ちなみに、旗本と御家人は共に将軍の家臣であり、両者を合わせて直参と言いますが、主に次のような違いがあります。
直参=旗本+御家人=将軍の家臣
旗本 …一万石未満・お目見え○
御家人…一万石未満・お目見え×
両者の違いはお目見え、つまり将軍への謁見が許されているかいないかの違いです。
しかし、ここで「それならば、将軍の家臣で一万石以上はどうなるの?」と疑問を感じた人は中々良い着眼点です。
一万石以上の場合は先程解説した大名の分類になり、かつ将軍の家臣なら親藩や譜代となります。
江戸幕府の職制
それでは次に江戸幕府内の職制についてを見ていきましょう!
江戸幕府には老中や勘定奉行などの様々な職制がありますが、今回すべては紹介せず、ある程度試験で出題されやすい頻出事項に絞って紹介をしていきたいと思います。
そのため、より詳しく知りたいと言う方は教科書や資料集に載っているものを見てみてくださいね。
これが押さえておきたい江戸幕府の職制です。
いきなり全部を覚えるのは大変だと思うので、まずは老中と若年寄、そして赤字と青字の職制を覚えていくと良いでしょう。
それでは次に、一部の役職について補足説明を入れていきたいと思います。
まずは大老と老中についてですが、どちらも政務を統括する最高役職なのは同じですが、大老は老中より上位ですが非常置であり、老中は数人から成る常置の役職です。
「最高役職が数人いるの?」と思う人もいるかもしれませんが、『鬼滅の刃』の柱をイメージすると分かりやすいかもしれません。
大老…政務を統括する非常置の最高役職
老中…政務を統括する常置の最高役職
役職の上下関係は、大老>老中
最後に(江戸)町奉行についての説明に書いてある月番交代の意味について解説します。
そうはいっても字面から想像できるとは思いますが、一か月で交代する勤務制度というだけのことです。
各身分の統制
大名の統制
大名の統制には、家康の記事でも解説した武家諸法度や一国一城令などの法制度の他に、参勤交代と手伝普請が用いられました。
参勤交代は聞いたことがある人も多いと思いますが、大名が1年ごとに江戸と自分の国元を往復する制度のことです。
ただし、後の享保の改革で制定された上げ米という制度を使えば参勤交代の期間が半減されることもあります。
江戸には大名の正室と世継ぎが常駐していたため大名にとっては実質人質のようなものです。
更に江戸と国元の往復の費用は大名の負担でした。
次に手伝普請ですが、これは幕府が行う大規模な土木・治水工事・寺社の修繕などに各大名の領地の石高に応じて人材や資材を負担するというものです。
簡単に言えば、大名はちゃんと幕府の公共事業には協力しろよというわけですね。
一見全く違う制度のようなこの二つですが、参勤交代と手伝普請は共に大名が幕府に対して反抗するための力を削ぐという目的があったのです。
朝幕関係
幕府が朝廷や公家を統制するために禁中並公家諸法度を制定し、京都所司代などの役職を置いたことは先程解説しましたが、それ以外の事項についてこれから解説していきましょう。
武家伝奏
まずは、武家伝奏という役職について紹介しています。
武家伝奏は朝廷と幕府の事務連絡を担当する役職です。
役職には公家が2名選任されていましたが、役料は幕府から払われるという特殊な役職であり、京都所司代と共に1603年に設置されました。
紫衣事件
1620年に幕府は第2代将軍秀忠の娘であった和子(東福門院)を後水尾天皇に入内*¹させるなど、この頃の幕府は朝廷への更なる接近を試みていました。
しかし、そんな最中に朝幕関係が大幅に悪化するきっかけとなる紫衣事件(1627~29年)が起こります。
紫衣とは、朝廷が高徳な僧や尼に与える紫色の法衣でしたが、幕府は宗教統制の必要から禁中並公家諸法度で朝廷が勝手にこの紫衣を与えることを禁じていました。
しかし、後水尾天皇は従来の慣例通りにこの紫衣を大徳寺の僧沢庵らに与える勅許を幕府への相談なく出したので、幕府はこれを問題として勅許無効の宣言を出します。
こうした幕府の朝廷介入に反発した後水尾天皇は1629年に再び幕府への相談なく明正天皇*²に譲位します。
この事件によって朝幕関係は大きく悪化し、本来は朝廷の役職に過ぎない征夷大将軍率いる幕府が制定した法度が天皇の勅許より優先されるということを世に示すことになったのです。
*¹入内…天皇の妻である皇后・中宮・女御になる人が内裏(天皇の居所)に入ること。
*²明正天皇…和子と後水尾天皇の間に生まれた子。
百姓・町人の統制
百姓・町人の統制
教科書や資料集にはもっと詳しい図が載っているでしょうが、とりあえずこれだけ覚えておけばほとんどの問題には対応できるかと思います。
それでは、以下でそれぞれの用語をまとめて見ていきましょう!
村方三役…村政を担う三役人
・名主…村の首長
・組頭…基本的には名主の補佐役
・百姓代…名主・組頭に対する監査を行う百姓の代弁者
本百姓…田畑を持ち、年貢を納める義務を持つ百姓
水呑…田畑を持たず、年貢を納める義務がない百姓
町役人…町政を担う三役人
・町年寄…町役人の筆頭。大坂の場合は惣年寄
・(町)名主…基本的には町年寄の補佐。大坂の場合は町年寄
・月行事…月単位で入れ替わる町民の事務・まとめ役
町民…家持とも言う一般的な町人
五人組…約五戸前後を一組として住民の相互監視・相互扶養などを行う連帯責任制度
村方三役や町役人の呼称や役割は地域や時期毎に異なるので、ここに記載してあることが絶対的に正しいわけではありませんが、試験の問題に対応するならこういった認識で良いと思います。
ちなみに本百姓のことを高持、水呑のことを無高、町民のことを家持とも言いますが、これらは田畑や家などの所持の有無で付けられた別称です。
町民の家持はそのまま自分の家を持っていることだと分かると思いますが、百姓の高持と無高については田畑(石高)の所持の有無です。
水呑は田畑を持たない故に年貢を納める義務もありませんでしたが、村政への参加は認められず、水しか呑めないほど貧しいことからこのように呼ばれます。
そして表には書いていませんが、当然町人の中にも自分の家を持たず、家持から家を借りて生活する人々が多くおり、地借・借家・店借などと呼ばれました。
ちなみに、村と町はそれぞれ村法(村掟)・町法(町掟)に基づいて運営されていましたが、特に村法の方は違反した場合、村八分*¹となってしまうなど厳しい制裁が待っています。
また、年貢の納入なども村単位の責任で行われる村請制と呼ばれるものだったことや田畑で作れない資源や材料を共同で採取するための土地である入会地などの用語も押さえておきましょう。
*¹村八分…村から排斥されること。言葉の由来は冠婚葬祭や被災時の救助等以外は関わりを持たないこと(八割は関わらない)ことにあると言われている。
百姓・町人の税金
それでは次は百姓や町人にかけられた税金について見ていきましょう。
百姓にかけられた税金
・本途物成(本年貢)…基本的な税であり米納が原則/税率は四公六民→五公五民
・小物成…農業以外の副業に課せられる税
・高掛物…石高に応じて課せられる付加税
・国役…国ごとに課せられる付加税
・伝馬役…村高に応じて課せられる人馬提供/不足した際は助郷役が臨時徴発
町人にかけられた税金
・運上・冥加…営業税・手数料
・町入用…町の経費
・地子…領主によって課せられる土地の利用代
・御用金…財政難の時に課せられる臨時税
現代同様様々な税金が課せられていますが、まずは太字の用語を押さえましょう。
特に本途物成は基本的な税となり、税率は四公六民、後に五公五民となりました。
ここでいう公は幕府、民はそのまま庶民の取り分を表しているので、四公六民は〔幕府4:庶民6〕で税率40%、五公五民は〔幕府5:庶民5〕で税率50%ということです。
ちなみに四公六民から五公五民に税率が上がった際には税金が高すぎるということで農民達の一揆が頻発しましたが、今の日本の国民負担率は財務省が出している資料によると令和5年度で約46.8%、財政赤字を加えた潜在的な国民負担率は53.9%となるそうです。
こう考えると今の日本の政治はこのままでいいのかと少し考えてしまいますね。
百姓に対する統制法
百姓に対する代表的な統制法は以下の3つです。
- 田畑永代売買の禁止令(1643年)
- 田畑勝手作りの禁(1643年~)
- 分地制限令(1673年)
それでは一つ一つの法令を簡単に説明していきましょう。
田畑永代売買の禁止令はその名の通り、田畑の売買を禁じるというもので飢饉などの際に百姓が没落しないように出された法令でしたが、後になるほど取締りは緩くなり、質入れによる売買などは実質的に黙認されてしまいます。
次に田畑勝手作りの禁は田畑で商品作物*¹の栽培をすることを禁止するというもので、米納を原則とする本年貢の減収を防ぐ目的で出された法令です。
最後の分地制限令は分割相続によって耕地が縮小するのを防ぐために出された法令です。
以上の3つ、どの法令も出題頻度が高いのでしっかりと覚えておきましょう!
*¹商品作物…自家消費ではなく市場で販売する目的で生産される木綿や菜種などの作物のこと。
まとめ
今回は久しぶりに内容が盛りだくさんでしたがいかがでしたでしょうか?
重要であったり頻出の用語は赤字や太字で示してあるのでまずはそれから押さえていって最終的には細かい用語も覚えていけば良いと思います。
そして、完全に余談となってしまいますが、実のところ最近また忙しくなってきてしまって、このような解説記事どころか問題系の記事も10月以降はまたあまり出せなくなってしまうかもしれません。
なるべく週1の更新ペースは守りたいですが、更新がない週も出てきてしまうかもしれませんので予めお知らせしておきます。
それでは皆さんお疲れ様でした!
また次の記事でお会いしましょう!